旧車のレストアや日々の雑日記。
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早いもので、上半期も終わり今年も折り返し地点です。
そんな日に更新しないわけにはいきませんよね(笑!
作業風景じゃなく、考察です。
先日、レストアとは別件でヨタハチを得意とするショップの社長さんと話した時、
話の中で一号車のレストアの話題が出ました。
社長さんも人伝てに聞いた話なので、私の所に入庫している事は存じていない様子でしたが、
やはり、少しずつレストアが進行している事が認知されてきてるのですね。
その話の中で、一号車の過去について少し教えてもらいました。
その情報に依頼人さんからいただいた考察と混ぜ合わせてみますとかなり信憑性の高い話に
なりました。
当時40年、車体番号の若いヨタハチは専らレースに駆り出されました。
有名な4号車もそうだったように、1号車も一緒に駆けていました。
当時は、17番のゼッケンをつけ活躍していたようですね。
固定のドライバーさんもいたようですが、不覚にも名前忘れてしまいました。。。
(ご存知の方教えてください!)
ですが、レースではライバルのホンダ勢に押されてしまい、約2年でレースから撤退。
引き下げられたヨタハチ達の一部は、販売されて登録となったようです。
事実、依頼人さんからいただいた資料によると、初年度登録が42年になっています。
車検証上の謎がこれでかなりクリアーになりました。
そして、見物した事がある方々が欠品と思われていた銘板。
↓はその位置の塗装を剥がしてみた画像です。
少し解かりづらいかもしれませんが、剥離の結果ビス穴が見当たりません。
溶接等で穴埋めした様子もなく、元から取り付ける為のビス穴自体存在しなかったようです。
この辺りも生産時からレース前提ということで銘板は必要なかったのではないでしょうか。
登録など当時は考えていなかったのでしょうねぇ。
教えてもらった話を私なりに纏めてみたので、解釈違いがあるかもしれませんが。
ちょっと吐き出したい情報だったので記事にしました。
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» 無題
記録CD到着いたしました ありがとうございました
当時は、17番のゼッケンをつけ活躍していたとのことですが知りませんでした またひとつ新発見できました これでインナーフェンダー銘版取り付け穴がない謎もとけたようです
当時は、17番のゼッケンをつけ活躍していたとのことですが知りませんでした またひとつ新発見できました これでインナーフェンダー銘版取り付け穴がない謎もとけたようです